山形県南陽市が生んだ稀代の霊能者、高橋宥明(ゆうめい)上人(しょうにん)。その数奇な生涯と不思議な神通力、そして現代に語り継がれる遺徳について、吉野文化史研究会編集長で高橋宥名上人顕彰会 加藤 茂氏の講演録から許可を得て要約しました。
高橋宥明上人の生家は、「荻観光わらび園」から1400m。神通力を授かったとされる「仙縁石(せんえんせき)」は、750mの距離にあります。
1.高橋宥明上人との出会い
私が高橋宥明上人の存在を知ったのは、平成19年7月のことです。南陽市吉野地区の史跡巡りで、上人が弘法大師から神通力を授かったとされる「仙縁石」を調査したことがきっかけです。
仙縁石は、市道黒森山線を荻地区から7Km(荻観光わらび園入口から上山市方向へ1Km)ほど入った山の中にあります。黒森山の奥深くに鎮座するその巨石は、注連縄(しめなわ)が張られ、神々しい空気を纏っていました。
同行した専門家から聞いた上人の「空を飛ぶ」「水の上を歩く」「筆を投げて文字を書く(投筆)」といった逸話は、科学社会に生きる身としては到底信じがたいものでしたが、その後、上人の足跡を辿るうちに、それが単なる伝説ではないことを実感したのです。
2.実在した天才霊能者
宥明上人(本名:高橋道四郎)は安政五年(1858年)に生まれ、大正3年(1914年)に没しました。わずか100年余り前まで、この吉野の地で生活していた実在の人物です。
神通力については今なお半信半疑ですが、上人が残した「投筆(なげふで)」の書は各地に現存しており、私自身もその模写を拝見しています。また、上人と同時代を生き、その奇跡を目の当たりにした人々の証言や写真、京都の僧侶によって建立された碑など、彼が多くの人々を救い、敬愛されてきた事実は揺るぎのない歴史として残されています。
私は、不思議な現象そのもの以上に、没後100年余りを経てもなお全国から多くの人々が上人を慕って「仙縁石」を訪れるという「事実」に強く惹かれました。
3.仙縁:神通力を授かった転機
道四郎が神通力を授かったのは、明治22年、32歳の秋のことです。上山へ筵(むしろ)を買いに行った帰り道、峠の巨石(仙縁石)の上で白い髭の老人に出会います。
老人は「腹痛で歩けないから背負ってくれ」と頼みました。道四郎が実直に老人の願いを聞き入れ、自身の荷物を置いてまで背負って助けると、老人は「お前は正直者だ」と、その無欲で正直な姿勢を認め、口の中に甘い「妙なもの」を押し込みました。道四郎が意識を失い、ふと気づくと、懐には梵字が記された巻物がありました。
以来、夢を通じてその意味を教えられ、彼は「お宝」と呼ばれる不思議な力を自在に操るようになったといいます。この老人は、後に弘法大師の化身であったと語り継がれています。
4.神通力と精神のエネルギー
こうした超常的な能力をどう理解すべきか。仏教で悟りを開いた聖者に備わるとされる「六神通(ろくじんつう)」。上人はそのうち、遠くを見通す「天眼通」、人の心を知る「他心通」など、四つの通力に通じていたといわれます。
飛騨福来心理学研究所の山本健造博士の説によれば、こうした能力は人類が本来持っていた生存本能の究極の形であり、精神統一によって時空を超える「心のエネルギー」の発露であるとされています。
上人は弘法大師から授かった「お宝」を介して精神を統一し、普通の人には見えないものを見(天眼通)、聞こえないものを聞き(天耳通)、他者の心を読み取る(他心通)といった「六神通」のうちの四つを体得していたと考えられています。
5.不思議な奇跡:水上歩行と投筆
上人が見せた神通力の数々は、多くの目撃証言として残っています。
【水上歩行】
渡し船に乗り遅れた際、乗客の目の前で川の上を歩いて渡った。
【笹舟】
笹の葉で作った舟に乗り、濡れることなく川を滑るように対岸へ渡った。
【投筆】
筆を数メートル先に投げ、瞬時に「龍」や「梵字」を描き出す。その書は持ち主の心根を反映し、悪いことが起きる前に鳴いて知らせたり、悪人の前では文字が消えたりしたといいます。
宥明上人の生涯は、徹底した「人助け」に捧げられました。上人はその力を私利私欲のために使うことは一切ありませんでした。全国を回って病に苦しむ人々を救いましたが、お礼に受け取った金品は中身も見ずに貧しい人々へ与え、自身は「鰹節の入らない味噌汁と漬物」という粗食を貫きました。
晩年を過ごした山形市の長寿庵でも、子供たちと隠れん坊をして遊ぶなど、その人柄は純粋無垢そのものであったと伝えられています。「欲がないことを通り越していた」と周囲が評するほど、執着のない生涯でした。
上人は語りました。
「食うものがあるうちはお釈迦様の弟子。食うものがなくなれば阿弥陀様の弟子だ。人間一代、食えて飲んで寝ていれば、それで定まれりだ」
【原文】「食うものがあるうちは、お釈迦様のお弟子となって涅槃に。食う物がなくなりゃ、立ち姿の阿弥陀さんのお弟子となって、おとぎを他家に出かけてご馳走になるサ。人間一代、食えて飲んで寝ていれば定まれりだ」
7.終わりに:現代へのメッセージ
大正3年、享年57歳で上人はこの世を去りました。しかし、彼を慕う人々は今なお絶えず、仙縁石への参拝者は後を絶ちません。
現代は経済活動や効率が優先され、心の豊かさや人間性が取り残されることも少なくありません。上人が遺した「食えて、飲んで、寝ていれば、人間一代それで十分だ」という言葉は、現代でも豊かさの本質を問い直してくれます。
私たちは、高橋宥明上人の遺徳を顕彰し、彼の歩みとこの素晴らしい故郷を次世代へ引き継いでいきたいと考えています。